墨田区立花 日本武尊とは

 

墨田区立花にある吾嬬神社は1199年、北条泰時によって社殿が造営されました。日本武尊東征の際に相模から上総へ渡ろうとして暴風に遭い、日本武尊の妻、弟橘媛(おとたちばなひめ)が身を海に投じて暴風を鎮めたあと、着物だけがこの地に漂い着きこれを築山に納めたのが始まりとされています。アニメやゲームでよく耳にする日本武尊命とはどんな神さまだったか意外と知らなかったですが、父である第12代景行天皇に命じられ大和朝廷を統一するために西の熊襲(くまそ)、東の蝦夷(えみし)と戦った皇子でした。西方を納めてから帰って東方に行く際、叔母から三種の神器の1つ、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を預かりその剣を使い東征して行きます。駿河で焼き討ちに遭った時、剣で草を薙ぎ払ったのでその剣は草薙の剣と云われるようになったそうです。また火打石で火をおこし敵を制圧したところから静岡の焼津という地名になりました。最後は戦の傷から伊勢で亡くなり白鳥に姿を変え大和へ飛んで行ったそうです。大分省略しちゃいましたが・・。因みに身を投げた媛(ひめ)に吾嬬(わがつまよ)と叫んだのが地名の由来だそうです。

拝殿入口

吾嬬神社縁起

墨田区登録文化財「連理の樟」

奥宮の狛犬